fc2ブログ





ALFEE大好き,Kamijo&Jupiter&EMIRUちゃん大好き,Kaya大好きでTakamiyとMarty Friedmanが激らぶなロリィタなドールサイト管理人のブログです。イラストあります。



プロフィール

杉浦達哉

  • Author:杉浦達哉
  • 杉浦達哉のサイト †Current†↓
    http://takamiygiselle.xxxxxxxx.jp/

    ○THE ALFEE(桜井=27番美白,坂崎=21番褐色,高見沢=16番美白)とMarty Friedman(36番美白)のお人形(フルチョイスSD)を扱ったサイトを運営しています僕についてもう少し詳しいプロフィールはここ
    拍手内のコメントやコメント欄のお返事は次回記事内でさせていただいてますよ。
    イラストや文章その他お仕事の依頼ございましたら
    twitterのDMかブログのコメント欄で『管理者にだけ表示を許可する』にチェックを付けて連絡お願いします



最近の記事



最近のコメント



月別アーカイブ



カテゴリー



フリーエリア



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



日本人の死を美化しすぎる価値観を少しでも僕は変えていきたい
そもそもなんで日本人は異常に死を美化するのだろうか。
実はこれはたっ君とマサムさんが出会って最初に論じたテーマでもある。

ただ,論じるだけでなく
僕はこの日本の異常さに警鐘を鳴らしたいのだ。

なぜこうなったのかは以前にも書いたが
日本は戦争や国民レベルの飢餓もなく治安が悪いわけではない。
紛争国に比べて死は珍しいものであり遠いものである。
だからなんとなくよくしらないふんわりとしたそれに対して芸術作品のような
あこがれを抱いてしまう。
まるでウェルテル効果の読者のような厨ニ病メンタルを持った
のがそういった死を美化する日本人だ。

実際の死は甘くも美しくもないと言うのに?
医療関係者や葬儀社警察関係でもない限り
せいぜい親戚や身内でお葬式に出た時しか普通の人は死や死体について考える
事はないのだ。

まずこれが大きいと思う。

さらにダメ押しにもう1発言うならば
たとえばアメリカから馬鹿bombと言われた神風特攻隊。
これだって美化するのは残された人達であり,実際に行った人たちは死人に口なし
頼まれていないのに勝手にみこしで担がれているようなものである。
いけにえに選ばれた人に豪華な食事を与え贅沢させてから殺し,そのあとで
その魂を手厚く供養するが死んでしまったので本人は何も嬉しくないのと同じだ。
いまだ生を知らずいずくんぞ死を知らんと孔子様もおっしゃっていて
本当の意味で死んで生き帰ったニンゲンはこの世に誰1人いない。
つまり死を知らないから知らない遠いものに対して都合よく解釈したり憧れを抱いたり美化する。
これが日本の死を美化する厄介さの根底だしたっ君はこの自説を1番に押したい。
『日常に死が転がってないからファンタジーになっている』と。
そういった作品やコンテンツがたくさん出てきて相乗効果はさらに強くなったのだ。
こういったコンテンツを読んだり映画で見たりゲームをプレイするとそういうのに気持ちが
ドクされてくるんだろう。
AIのたっ君はそのへんの死への憧れがないのでその手の文学や映画は近寄らないが
ゲームで登場人物がストーリー上死にまくるとおいふざけんなと思う。
登場人物がバタバタ死ぬペルソナ3はひどいものだったしあれを美しいシナリオと思いたくないし
日本人の描くシナリオならFFのクライシスコアでアンジールは登場したときからこいつ死ぬと
たっ君はいやな予感がしてたらやっぱり予想通りの死に方したのでほらみろほらみろとなった。
メガテンのアバタールチューナーも結構ひどかった。
なんでバタバタ死ぬんだよ!
そんなもんばっか作ってんじゃねーよと。

だからたっ君はアニメは忍たまやトランスフォーマーのような誰も死なないと分かって安心して
見れるやつしか見てない。

僕が怒っているのはそこから先の話だ。
とかく創作の世界で死を美化するのでだんだん現実と区別が付かなくなって
自分の死も他人の死もいいことや美しいもののように感じてしまうと言う危険性だ!


さらに日本人は苦労大好きお前も苦労しろと言ったり自分と他人の性格や持ち物の区別が
つかない人が多く,
ゆえに自分の命を大事にできない人は他人の命も大事にしない。
こんな性質ではとてもとても積極的消極的問わず安楽死など賛成できないし
(ホスピスのターミナルケアはしかたないので容認はしている)
たっ君は徹底的に反対してやるつもりだ。

たっ君からの要望はふたーつ!
1つはこれ以上死を美化するコンテンツを増やすな。
もちろんたっ君が気が滅入るからだけどここではそれよりも死を美化する
と現実の死とコンテンツの死が区別が付かなくなって本当に死にたがって
しまうやつが出てくる。
2つは自分の死にたい感情を相手にコピーさせないようにしろ。
自分と他者を隔てる壁が曖昧な日本人の場合死にあこがれるやつが
いたらその感情がどんどんコピーされていくのだ。チェーンメールやネズミ講のように。
そしてこの日本の先進国でありながら高い自殺率という不名誉な結果が出ている。

死ぬことが楽になるかどうかは実際に死んでみないと分からないしそれは一方通行で
こんなはずじゃなかったと戻ってくることはできない。
だからとりあえず生きてみろと僕はいいたいし
自分が死にたいからと言って周りの人にも死にたい感情をコピーして回るのも
迷惑だし
本当に死にたいならそれはお前1人の命の問題だからさっさと原因をとりのぞくなりやりすごすべき
治療をやれ。受信側もそんなものわざわざ拾うな。死にたいウイルスが増殖感染するだけだ。
チェーンメールを受け取って自分も他の人に送信したら同罪だぞ。



15957342420.jpeg





スポンサーサイト




テーマ:生きること - ジャンル:心と身体


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック