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僕が自殺や自傷と無縁でいられたわけ
そのたっ君が気になる麻原彰晃のなりきりアカウントの人が言っていてどうも気になると言うか
引っかかると言うのは
『死後も識者は意識の断絶が起こらない』
というワード。
同時にこの人はバルドゥというキーワードを残していた。

これはようするに生きながら解脱した者は死後再び魂をリセットされて人間界に生まれ変わるということはなく
自分の意識を持ったまま成仏できるという考えだと思う。
調べるとそのバルドゥについてはチベット死者の書に詳しいことが書かれているらしい。
全てを読むのは無理なので死後どのように人間界に生まれるか解脱できるかについて
詳しくフローチャートされている部分だけを読んでみた。
ようするに執着を捨てれば解脱できるそうなのだが…
僕はこの識者は意識の断絶が起こらないという言葉はもう1つの,それも全く正反対の意味を持つのではないかと
昨日ふと思った。


もちろんたっ君はど底辺の理系大しか出られなかった糞ウンコだが
たっ君の心はいつもなぜ?どうして?ここはどうなってるの?という疑問に包まれている。
同時に昨日書いたように興味のある学問については徹底的に調べたり自分の意見を述べたり
また見聞を広めることを好む。
そのおかげでいじめにあってもひどい折檻を受けても自分が今目の前にあるクソッタレなシステムが
全てだと考えなかったしつねに自分の興味のあることがらに考え続けていたので
自分の身を守ることはできた。悪い言葉で言えば現実逃避というやつだ。
だがそれができたおかげで僕はとんでもないいじめや折檻を受けてもほぼ皆勤だった。
そのふてぶてしさは僕を今までにせっかんした教師達も舌を巻いていた。
なぜ僕が登校拒否にならなかったのも自殺したり手首を傷つけなかったのかも
ひとえにその現実逃避があったからだ。
つまりつねに僕は自分が1番興味があることについて考えることをやめなかった。
政治でも芸術でも医学でも何でもいい。
怒鳴られている間もいじめられている間もその瞬間自分の1番興味のあることについて考えた。

だから僕はここでいう
識者=考える人
であり
意識の断絶=死
だと解釈する。
つまり下手な考えだろうがなんだろうが興味のある事柄について考えることにより意識が
そちらに向かうのでいじめや折檻をしてくるあんにゃもんにゃを一切無視することができるのだ。
当然僕が何も言わないしかといって動揺したり泣いたり謝罪も一切しないので
相手はつまらないわけだ。折檻する教師だって目的は僕の教育的指導というのは
表向きで要は立場の弱い生徒をいじめているだけなのだから。
だから僕にもっとひどいことをしようとしたり『聞いているのか?』と確認するが当然僕は聞いていないので
『あ?』『はい?』としか返事をしない。
これで乗り切るしかなかったしこれができたから僕は不登校や自傷とも無縁でいられた。反抗期で家で
暴れることもなかった。
どつかれる痛みやどなられる怖さは多少トラウマとして残るものの早まった事は一切していないし
考え続けることで常に僕は正気を保つことができた。
それが昨日も書いたように図書館にとじこもったり押し入れで新聞や本を読みながらその感想をノートにしたためて
宿泊行事を乗り切った経験が含まれる。
学問を得ること,考えること,自分の意見を述べること,そうすることで心を正気を保つ,つまり『自我』
を強くすることで俺は悪くないと認識して異常行動や早まった行為を律するしかない。
そういう意味で僕は大乗仏教的な『自我』をカルマととらえて執着するをよしとしない考えに真っ向から反対する。
自我,自決(ここでいう自決とは自殺ではなく自分で決める)なくして人間ではない。
自我や執着があったからこそ僕はこうして無事故で生き延びることができたと言うのに。
僕はjupiterのscarletという曲が好きで

この曲の『気高い誇りを胸に抱く 私が私であるため』
という部分のとくに『私が私であるため』
がとくに大好きだ。
『私が私であるため』って常に僕自身いつも意識し続けているからだ。

僕にとって僕が僕でなくなるということはこの世もあの世もひっくるめて1番恐ろしく死ぬよりおぞましいことだ。
僕は他人になりたくないし僕以外の何かになるなんて絶対にごめんなのだ。
それができないのなら僕の意識も魂も全て初めからなかったものとして消し去ってほしい。
もちろんできればこの意識や記憶を持ったまま存在したい。
ならば上記の言う『意識の断絶が起こらない』というのは僕にとって大変魅力的な
話であり,僕はこれからもどんな形であれ,色んなことについて考え続けるし,
自我を決して捨てはしない。
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テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体


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