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ピラミッドはなぜ建てられたか
大丸ミュージアムの古代エジプト展に行ってたんですよ。
入場料1200円はちょっときつかったですねぇ。

僕ね,小学校1年生くらいの頃,エジプトってすごい憧れ
だったんです。歴史マンガもたくさん読んで,すごい好きでした。
うまく言葉では説明できませんが,当時の華やかな色彩の
神様達が描かれた壁画がとても好きでした。
大人になってあの頃の情熱は冷めてしまいましたが,今でも
テレビのふしぎ発見でエジプトをやっているとやっぱりちょっと
嬉しいですねぇ。しかもときどき僕も正解します。

今回のエジプト展で勉強になったのは,ピラミッドは本来
墳墓ではなかったかもしれないという事実。ね,驚きでしょう?
じゃやっぱり王族の墳墓は別な場所にあるんでしょうね。
ということはピラミッドは何の為に?そのミュージアムでは『儀式のためではないか』と書かれていましたが…。
つまり神殿とか拝殿とかそういうものですね。死体はそこには
ないんです。あくまで御霊を祀る場所。神社のようなものですかね?
でも神殿のようなものはピラミッド以外にたくさんあるんですよ。
それじゃあますますピラミッドの意味が分からなくなってきます。
複雑だなあ…こりゃ勉強しなおしかなぁと思ったんですけど。
…で,僕,自分に当てはめて考えました。もし僕がクフ王なら
自分を埋葬するため以外にどんな理由でピラミッドを建てるか
なぁって。答えは簡単です。『自分の権力を誇示するため』です。
ただ自分の遺体を埋葬するだけなら適度な大きさの墳墓で十分です。
当時の最高の技術力と芸術でもってこれを建立したということは
建立者に少なからずなんらかの見栄があるということになります。
それはわが国日本の戦国大名が豪華なお城や寺を建てることと似ています。
戦国時代の城は大名の居でもありますが同時に己の権威の象徴
でもあります。たとえば足利家の金閣寺ですが,金閣寺は
そもそも寺ということになりますが,本当に寺として機能させるなら
わざわざ金ぴかにする必要はありません。豊臣秀吉の金ぴかの茶室
だって同じです。つまり金閣寺も金ぴかの茶室も寺や茶室として
機能させたかったというのではなく,己が権力を誇示するための
ものとしての芸術品であり,アクセサリーだったのです。ピラミッドも
本来の意味は『死者の住居』といった内装を擁しながらも
同時に権力者の力を誇示する芸術品だったわけです。そう考えると
ピラミッドの謎が一つ解けます。僕は子供の頃,スネフェル王は
どうして複数のピラミッドを持っていたのだろう?とずっと思って
いました。当時はまだピラミッドは墳墓であるという世間の
解釈が常道でした。だとするとスネフェル王がお墓を2つ持っている
ことになります。遺体は一つでお墓が二つなんて変ですよね。
しかし今現在ピラミッドは墓というより,権力誇示のための芸術品である
という意味合いを含めば納得がいきます。

今回の大丸ミュージアムには子供のミイラがいました。
僕はミイラを見て次の展示物に進んでしばらく経ってから
またミイラのもとへ戻ってきました。どうしても手を合わせて
おきたかったのです。幼くして死んだから,きっと病気か
事故で非業の死を遂げたのでしょう。もしこの子供が成人していたら
どんな夢や希望が待っていたのか?それなのに現実は2000年経った今でも
こうしてその遺体が海を渡り世界自由の人々の注目になって
いる。中には好奇の目で見る人もいることでしょう。
そして僕自身もまたこうして彼の亡骸を見ている。だから
どうしても手を合わせておきたかったんです。医学部の
解剖実験で献体に対して頭を垂れるのと同じです。
ですから僕も『後世の人々の研究に役立ってくれてあり
がとう。南無阿弥陀仏』と手を合わせました。
もしエジプト人の死後の世界が彼らの望む通りのものだと
したらこの子供のカー(霊魂)はとっくの昔に肉体を離れ,
楽しい来世へと旅立って行ったのかもしれません。
僕はそうあって欲しいと切に願わずにはおれません。
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テーマ:考古学 - ジャンル:学問・文化・芸術


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