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杉浦達哉

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いいわけみたいな解釈をしてまで何でも悲劇にしようとするのっておかしくない?
一昨日twitter仲間の1人がこんなことをつぶやいた。
『ドラえもんののび太がタイムマシンで死んだおばあちゃんに会いに行くエピソードは
のび太がおばあちゃんに余命宣告をしたようなものだという解釈が広まっているが
ばかばかしい』

僕は最初意味が分からなかったが物語を思い出してみた。
つまりこういうことだ。
未来から11歳ののび太が自分に会いに来て涙を流して喜ぶということは
自分はのび太が11歳の時まで生きられないということだと気が付いてしまった。
だからあの後おばあちゃんはすぐに病気になってそのまま亡くなったんだと。
なるほどそういう解釈もできるかもしれないが僕もtwitter仲間同様
『そこまでの解釈は必要ない』という意見だ。
大人向けの文学ならともかくこれから未来を生きていこうとする子供達に向けて
描かれるドラえもんがそんなに後ろ向きだったリ悲劇的である必要はない。

僕がむかっ腹が立ったのは作品の内容がどうということではなく
わざわざそういうどうにかこうにか苦しい言い訳をして世の中のすべての物に
悲劇的暗澹たる解釈をして苦しい言い訳をしている日本人の多さである。

滅びの美学。
これが非常にやっかいだ。
日本人は古くから心中ものの舞台が流行ったりちょっとしたことで簡単に切腹をしたり
特攻隊があったりと命を失うことに美を感じてしまう傾向が他の民族より多い。
昨日も僕がnomiさんの歌が素晴らしい!もっと聞きたい!と思っても世間では
nomiさんの歌は評価されているがやたらnomiさんが無理に病気をおして死ぬ直前まで
歌い続けたというエピソードばかりが出てくる。
そんなことより僕は明るく楽しく歌うnomiさんのエピソードが知りたいし
nomiさんが心から歌を愛していたという思いを受け取りたいと言っているのに。


僕のようにおもしろおかしいものだけが好きだとハッピーエンドかどうか確認してから
映画やドラマを見たりする。
だからちょっとしこりの残るハートウォーミング系はうんざり。
ミセスダウトのエンディングは子供心にすごくがっかりしたな。
同じロビン・ウィリアムスの出演作品でも最後全員で美術館をディスコみたいにして
踊るナイトミュージアムなんかは僕の理想のエンディングだと思う。


最近やったゲームは初代バイオショックとディスオナードのエンディングは良かった。
疑いの晴れたコルヴォが仮面を取ってすがすがしい顔でエミリーの隣に立つ。
ピエロとソコロフが協力し合って病人を治療する。
本当によかったと思う。

逆に悲劇は嫌いでフランダースの犬とか大嫌いだ。
なんで死ぬ?と。食事を一緒にどうぞと言ってくれた友達の家族を断って
なぜ死にに行った?子供が自殺する話だぞ?

まぁ絵が地味だしギャグもないしカッコいい戦闘シーンも大興奮のカーチェイスも
ない世界名作劇場シリーズ自体が
僕は好きではなかったけれど。

中学の時に社会の授業でああ野麦峠という映画を見てその日1日トラウマになってしまった。
高校の時に図書室で実際に女工さん達への待遇や生活ぶりをデータにまとめた
本を読んだことで実際はそこまで大げさな悲劇ではなかったことを知り、僕はやっと溜飲を下げた。
工場で働いた方が農村で生活するよりずっと女工たちはましだったのだというのがはっきりと書かれていた。
同時になんであんな悲劇的な脚色をしたのだろうと映画に対して腹が立った。
ちなみにその本と言うのはまさにああ野麦峠の原作本だった。
これこそなんでもかんでも言いわけをして悲劇にしてしまう1番むかっ腹の立つ事例だ。

だから僕は悲劇は嫌いだ。本来大好きなベルサイユのばらも悲劇なのでオスカルが死ぬシーンは
あまり読まない。
唯一僕の好きな悲劇は平幹二朗の王女メディアだが理由を語りだすと36時間以上
かかってしまうのでまた今度に。


もし僕が監督ならフランダースの犬は主人公が幼馴染の家に婿養子に入り
絵も売れまくってセレブになって、主人公の若いころと同じような『絵を描きたいけど貧乏な子供達』を集めて
無料の美術学校を経営するエンディングにすると思うし
野麦峠はブチ切れた女工が集団でホームアローンばりに工場をめちゃくちゃにして
暴れるどたばたコメディで悪い監督官はその悪行がお偉いさんの耳にはいって
首になって女工達の待遇が良くなるエンディングを作ると思う。

以前にも書いたドニゼッティの『愛の妙薬』の精神だよ。

僕は明るい音楽やハッピーエンドがなによりも大事なのだ。
だからそれらのコンテンツを選ぶので問題ない。
世の中に悲劇の音楽やドラマのことをうざいながらでもそれらが好きな人もいるのだからと
ほっておくことにしている。
それなのに僕がいいなー素晴らしいなーとみて見ているそばで
わざわざ苦しい解釈をして見苦しい言い訳をしてどうにか悲劇やかわいそうな話に
持って行こうとする精神は何なのか。

ただおばあちゃんに会いたいと思ったのび太の感動の涙を
出稼ぎに出て家族に少しでも楽をさせてあげたいと思った女工たちの気持ちを
あるいは心から歌を愛して歌っていたnomiさんの気持ちを
憐れんだり悲劇だと思ったり言い訳がましい解釈付けるのがむずむずするし
やっぱりそういう傾向にある日本人って僕は自分も日本人だけどそういうところが嫌い。
嫌いだ!嫌いだ!嫌いだ!と自転車修理マンのラストのジョン・クリーズのキレ芸のように暴れてやりたい。
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