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社会主義への不条理性、そして資本主義社会の中の生活保護について
たっ君は社会主義の富の再分配の不条理性を幼稚園の年中のぶどう狩りにして覚えた。
たっ君は当時から作業好きの子供だったのでこういうときは年少時代から年長時代までせっせと働いた。
さぼることなくブドウをとった。大きい物、色のいい物、よさげなものを選びせっせと働いた。
自分がとったブドウは自分で食べられることができるがそれ以外はひとまとめに集めることになっていた。
さて、幼稚園に帰って来て解散となるときにお土産のブドウが保護者に手渡される。
みんな同じ大きさの箱に同じ量だけのブドウが入っていて新聞紙でくるんだ上にビニールひもで縛ってある。
まるで酔っ払いのお土産のような形をしている。
おふくろが幼稚園先生から受け取ったブドウの包みを見て僕は内心憤慨した。
必死に時間いっぱい走り回って吟味をしてブドウを収穫しても、さぼって食べてばかりしゃべってばかり
いた奴と受け取るブドウの量は同じなのだ。
僕は幼稚園の時点でこの不条理に心から憤慨していた。


では秋のイモ掘りはどうか。
イモ掘りは各家庭ごとにビニール袋を持参して取った分は取っただけ持ち帰ることができる。
たっ君はおふくろにビニールを余分に持たせてもらい、
大量に大きな芋を狙って掘りまくった。
これらはすべて僕の取り分となるので僕は毎年イモ掘りにはとても満足していた。

潮干狩りも同様で、
僕は無駄話などせずとにかく家族分のみそ汁の具を稼がねばなるまいと
あさりを掘りまくって持ち帰っていた。


僕にとって幼稚園のぶどう狩りやイモ掘り、潮干狩りとは労働の概念がないなりにも
食料を手に入れるという行為であり、ブドウも貝もさつまいも自分が額に汗して手に入れた苦労の対価
という考えがあった。
ところがブドウはすべて集められ、さぼったものにも同様に配られる。
自分がとったブドウはすべて自分が取得することはできなくても
一度すべて集めたうえで
割合からたっ君は余分にブドウを受け取ることができるというシステムでもいいはずだ。
要するにさぼったものにも額に汗してハサミを片手に走り回ったたっ君にもブドウは均一に
再配布される。
これが許せなかったのだ。
まぁ大人の事情を考えればぶどう狩りの入場料は同じなのでそういうことになってしまうかも
しれないのだが…しかし当時の僕はそんなこと聞いちゃいない。聞いちゃいないので
僕が憤慨した時点で言葉を濁さず説明してほしかったが。

中学になって資本主義と社会主義という言葉を知った。
その富の配分方法について授業を聴いていたとき僕は社会主義と言うのは
あの非常に不条理極まりないぶどう狩りであり、
資本主義とは取り放題のイモ掘りだと気付いた。

世界で社会主義の有名な国が北朝鮮や旧ソビエト、キューバ、ベトナム、中国あたり
で非常に少数だったことからやはり労働の生産性としては効率が悪いものとみなされているのでは
と思った。
だったら資本主義が完全なよくできたシステムなのかというとそれもあやしい。
僕は資本主義についてもいくつかのパターンがあり、ひどいものと僕が納得いける
ものと両方がある。
イモ掘りの話を戻そう。
たっ君が必死こいてイモを回収していても他の子供達が土に触るのが嫌だからと
働かなくなる。別にたっ君は自分の持ち帰るイモが増えればそれでいいのだからいちいち
気にはしていないが、もしたっ君が全ての芋を掘りつくしてしまって、他の子供達が
持ち帰るイモがほとんどなくなってしまった場合、たっ君にそのイモを分けろと言うだろう。
たっ君はこれもまた許せないのだ。
自分が収穫した物だけを持ち帰れと言っているのだ。
あまり働かなかったので少ししか対価を得られないものに対してイモをたくさん持っている
ものがイモを分けてやらなければならない空気を作る。
これを僕は『ノブレスオブリージュの強制』と呼ぶ。
これは資本主義が作り出した弊害である。
これは僕がノブレスオブリージュを全否定しているのではなくむしろ好ましい好意だと思っているが
イモを持っているものが持っていないものに分けてやるかどうかは持っている側が
決めることであり、弱者保護や寄付や無償の奉仕は外野や受け取る側が
持っているものに対して圧力をかけていいものではないのである。
このあたりの僕の考えはべリアルアットシーに出てきたラプチャーのライアンの学校でのライアンの
『私がパイを焼けば私が食べるべきだろう』
と言う発言と帰結する。
僕もこんなことならあの給食室に『the re is no free lunch』の文字が書かれているライアンの
学校に通いたかった。
自分が得た対価をどう処分するかはその人が決めればいい。


ここまで書くと僕が日本の生活保護システムを否定しているように聞こえると思うが
過去のブログから読んでもらえば分かると思うが僕はむしろ今の日本の相対的貧困数の
多さは必ず是正されねばならないし、困っている人は生活保護を積極的に受けるべき
だという見解だ。
それはなぜか。
社会と言うイモ畑はあまりにも広大だ。
少数が頑張ったところで生産性は上がらない。全員が分業して頑張ってもらわなければ
とても労働力が足りない。
それなのに空腹だったり震災で財産を失ったり
けがで働けないものが出てくるとさらに生産性が低下する。
そこで事情があって働けないものに一時的にイモを分けて食わせてやることで
治療なり生活再建なりしてもらって再び働けるようになってもらう。
僕は生活保護システムをそういうものとしてとらえている。老齢年金ではなく、
あくまで再び労働に戻ってくるためのつなぎである。

逆に一切の生活保護システムを停止し手当たりしだい貧困者を切り捨てていけば
その人が野垂れ死にするだけなので、生活再建して再び労働に戻ることがなくなるので社会の生産力は
あっという間に落ちてしまう。
社会の全体の生産力の低下はもともと真面目に働いて対価をもらっていた物に対しても
経済不況という形で弊害を及ぼす。
物が売れなくなったり仕事がなくなったりする。
誰も楽しくないし得をしないのだ。
さっきも言ったように『ノブレスオブリージュの強制』を避けるためにも個人に対して
寄付や奉仕を求めて頼むよりも国が仕切り役となって生活保護のシステムを作るしかない。
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テーマ:経済 - ジャンル:政治・経済


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